2011年3月16日水曜日

野球界の侍

こんにちわ♪♪
博多院のタビラです。

私も今年の4月で26歳になるのですが・・・25歳という区切りの歳で私もついにブログデビューって事で
パソコンの苦手な私がブロガーの仲間入りなんて、まさに奇跡です。

そんな私は、スポーツが好きなので・・・
今日は、1991年に当時のオリックス・ブルーウェーブにドラフト4位で入団した鈴木一朗選手が日本球界にいたころについて、ほんの少しではありますが書こうと思います。

プロに入団して1年目は、ウエスタンリーグで首位打者になるものの1軍出場なし。
2年目は1軍に上がってもすぐに2軍に落ちる事が多く、その原因としてタイミングはとりやすいがストレートに振り遅れてしまう振り子打法がコーチ陣に認められてなかったからと言われています。

そんなイチロー選手に転機が訪れたのは、仰木監督が就任した3年目です。
仰木監督に言われ登録名も「鈴木一朗」から「イチロー」に変え、イチローの才能を見抜いていた仰木監督は1番・ライトをイチローの不動の座としスランプになったとしても使い続けたそうです。

2004年仰木監督の殿堂入りを祝う席でイチロー選手は・・・
「僕にとって唯一の師、仰木監督なしに僕の存在はない」と感謝のことばを述べ、
イチロー選手の打撃センスをかってスカウトしてくれた三輪田氏のことは
「恩人」と呼び今でも墓参りをかかさないそうです。

この話を聞き、今まで出会った方との繋がりの大切さを改めて痛感しました。

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